スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
ミュージカル『レ・ミゼラブル』舞台の請求力
2005-03-19 Sat 22:26
『レ・ミゼラブル』という作品を

3時間という短い時間で表現するのは

無謀なことである。

小説と同じ感動を舞台や映画に求めるのは

そもそも筋違というべきだろう。

ただ、ミュージカルという形をとったことで

ストレートプレイより、

たくさんのもを表現することができたのだ。

歌と踊りと音楽という強力な武器があるからだ。

独唱、重唱、合唱、対話歌というさまざまな形式。

また、同じ曲をアレンジを変えて、

また登場人物を変えることによって

違うように見えて内実は同じだということを

誰にでもわかるように表現した。


自分の生き方に苦悩し、生まれ変わるバルジャンと

自分の生き方に苦悩し、死を選ぶジャベールに

同じ曲を歌うのは非常に興味深い。

追われる立場、追う立場でありながら

実はコインの裏表のような存在であったこと、

状況が違えば友ともなれたことを表現していた。

これはまた民衆の代表という人物も

権力の座に着くと変わってしまうのだという

強烈な批判も込められている気がする。

他にもいくつもこういうシーンは見つけられる。


『レ・ミゼラブル』は

いわゆるハッピーエンドとはほど遠い。

あるのは

失敗、憎悪、欲望、権力、罪の購い・・・。

シリアスな要素がほとんどである。

本来ならミュージカル向けでない。

しかし、その大きなハンデを乗り越えたのだ。

そして仕上がったのだ。

ドラマが感性を呼び覚まし、

情緒を浄化するという

カタルシスの作用を自覚できる作品に・・・。










スポンサーサイト
別窓 | 「レ・ミゼラブル関連」 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<『ファントム』―ルシファーに例えられた男 | 十六夜の月 | ミュージカル『レ・ミゼラブル』舞台の特徴>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

| 十六夜の月 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。