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『ファントム』―ルシファーに例えられた男
2005-03-26 Sat 14:07
20050226221100.jpg




<エリック>

『悪徳に首までつかりながら、子供のような無垢な心を失って

いないとは!

なぜか彼を見るたび、私はルシファーを思い出す―

天国から落とされるまでは天使だったルシファーを・・・』

ペルシャ人ナーディルはエリックをこう例えた。


<ルシファー>

神の側にいたときは大天使長であり、

「明けの明星」を意味し、「光を掲げる者」、「朝の子」などの

称号を持っていた。「明けの明星」とは金星のことで、この星が

夜が明けてからも最後までその輝きを残すことから。
 
このような称号にふさわしく、ルシファーは堕天する以前は天使

たちの中でもトップの地位にいた。大天使長という最高位にい

て、かつ神からもっとも愛されていた天使であった。天使の中

でも最高の気品と美しさを備えていた。


他に追従を許さぬほどの(御子が別としても)最高の権威と力

を与えられたルシファーはそれにうぬぼれてしまい、そこに彼

の心に魔が差した。

神を超えることができる。神に取って代われると思ったのだ。

そこで、自分に追従するものを集め、反乱を起こすにいたった。


天に戦争が起こった。神の側とルシファーの側の大戦争が。

結果、神が勝ち、ルシファーたちは天より落とされ、姿は醜く

なりサタンとよばれるようになる。



【ルシファーとエリックの類似性】


『私の声は身に備わった美、唯一の力、たったひとつの望み』


クリスティーヌの音楽の天使となり、その心を奪うことになる

さまは、蛇をあやつり、イブの心を奪い堕落させたサタン(=ル

シファー)のようである。

もちろんエリックの行動は、クリスティーヌに恋焦がれるがあ

まりの行動で、ルシファーのように堕落させる目的はなかった

が。

しかし結果的に、「わたしの愛はこの子を破壊し・・・変形

させてしまった」と書いている。


『自他ともに認める、『完全性』への飽くなき欲求』


自ら生み出すものへの完全性への追求は止まるところを知らな

い。たとえどんなに小さなものであっても。

後にそれは、命がけとなるパリの『オペラ座』の工事へと繋が

っていく。


『人の作りだした差別、また無分別への怒り』


特に弱きもの、子供や女性に対しては顕著に現れる。

貧しいから、奴隷だから、弱いから差別され、虐げられ、

屈辱のうちに人生を終わることになる。

これに対する怒り(義憤といっていい)は、すさまじく例えば

唯一の友人ナーディルで出さえ、

『わたしは壁を背にすくみあがり・・・』

と書いている。

また、無抵抗な自然、例えば街などに対する無意味な破壊も

彼にとっては許さざる罪(=強姦)と同義語である。


エリックにとって、他の人間が作り出してきた権威、習慣など

は、そのほとんどが唾棄すべきものであったのだろう。

人間世界に生まれながらも、そこで生きていけなかったエリッ

クは、それが幸いしてその世界に取り込まれることがなったの

だ。

だからこそ、誰よりもある意味平等な視点で物事を見、判断する

こともできたのである。


原作者ルルーが書いた、”世界がすっぽりと入る広い心を持っ

た男”の誕生であった。


しかし、その後のなんたる悲劇!


『これが悔い改めた放蕩息子を、温かく許し迎えるやり方なので

すか?』―エリック


彼のいうところは”神”が彼を温かく許し迎えてはくれなかった

のだ。

放蕩息子は、新約聖書ルカ伝に出てくる、父(神)と放蕩息子

(罪深き人類を表す)の話。

まだ生きている父に遺産を要求し、もらうとスグに父の元から

出て行く息子。散々の放蕩のあげくに、ようやく自らの過ちに

気づき息子は父の元にもどってくる。

あなたの子と呼ばれる資格は無いから、使用人にしてほしいと

訴える息子に対して、父は、

『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それ

から、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうでは

ないか。』

子牛は最上級のものの例えともいえるから、父の寛大さと愛を

うかがい知ることができる。


エリックは、魂込めて祈りを捧げようとしていた。

放蕩息子のように敬虔に。

他の何もいらない。ただ・・・。

それに対する答えが、


彼にとって絶対的な裏切りの声だったのだ。


ルシファーが二度と天に帰ることは許されず、

神から下された滅びの後は永遠に続く無であるように、

エリックもまた神から見捨てられた存在になってしまった。

少なくとも、エリックはそう信じてしまったのだ。


ここに、この時代最大の悲劇的なオペラの幕があがった。

<勝ち誇ったドン・ジョバンニ>の最終場面の完成

大勢の人が死神に連れ去られ、

想像を絶する大いなる苦しみが生まれた。

クリスティーヌも、ラウルも

そして、生み出した本人エリックさえも

誰もこのオペラの後「正常」ではいられなかった。


カッコーっていうのはね・・・

カッコーは美しい鳥なんだ!


たった一度の交わり。

たったひとつの愛。



ルシファーに例えられたエリックの遺児シャルルの未来が、

せめて幸せでありますように・・・。

















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ミュージカル『レ・ミゼラブル』舞台の請求力
2005-03-19 Sat 22:26
『レ・ミゼラブル』という作品を

3時間という短い時間で表現するのは

無謀なことである。

小説と同じ感動を舞台や映画に求めるのは

そもそも筋違というべきだろう。

ただ、ミュージカルという形をとったことで

ストレートプレイより、

たくさんのもを表現することができたのだ。

歌と踊りと音楽という強力な武器があるからだ。

独唱、重唱、合唱、対話歌というさまざまな形式。

また、同じ曲をアレンジを変えて、

また登場人物を変えることによって

違うように見えて内実は同じだということを

誰にでもわかるように表現した。


自分の生き方に苦悩し、生まれ変わるバルジャンと

自分の生き方に苦悩し、死を選ぶジャベールに

同じ曲を歌うのは非常に興味深い。

追われる立場、追う立場でありながら

実はコインの裏表のような存在であったこと、

状況が違えば友ともなれたことを表現していた。

これはまた民衆の代表という人物も

権力の座に着くと変わってしまうのだという

強烈な批判も込められている気がする。

他にもいくつもこういうシーンは見つけられる。


『レ・ミゼラブル』は

いわゆるハッピーエンドとはほど遠い。

あるのは

失敗、憎悪、欲望、権力、罪の購い・・・。

シリアスな要素がほとんどである。

本来ならミュージカル向けでない。

しかし、その大きなハンデを乗り越えたのだ。

そして仕上がったのだ。

ドラマが感性を呼び覚まし、

情緒を浄化するという

カタルシスの作用を自覚できる作品に・・・。










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ミュージカル『レ・ミゼラブル』舞台の特徴
2005-03-11 Fri 21:24
この作品の特徴をいくつか考えてみたい。


1、有名長編小説という土台


「レ・ミゼラブル」では知らなくても

「ジャン・バルジャン物語」

「ああ、無情」

というタイトルなら知っている人も多い。

実際、フランスでは日本で言うところの

桃太郎や金太郎のようなおとぎ話くらい有名で、

どこから話し始めても誰もがわかるほどだという。

日本でも、この作品が紹介されてから100年近くもたつ。

社会の底辺にいてもしたたかに生きようとする。

生きるということが、

どんなに辛いことか、

そしてどんなに素晴らしいことか

ユゴーはドラマチックに描いている。

大衆のシンボルともいうべき登場人物たちに

共感を感じる人は多い。



2、構成力・演出力


原作は2500ページほどもある。

これを3時間ほどの作品に仕上げる。

はっきり言って無謀な試みである。

物語を単にダイジェスト版にしたのでは

羅列的になってしまい失敗する。

いかに原作がおもしろくてもだ。

それがこの作品は些細な部分には

こだわらず思想という命題を貫いている。

主題さえ見失わなければ混乱しないという

基本原則を作品で示してくれている。

ダイジェストであってダイジェストでない。

超越したものを生み出せたから

世界を感動させることができたのだ。



3、音楽


この作品が日本にやってきたとき

当時日本では稀なこととして

オーディションによって俳優が選ばれ

一年もの準備期間を置いて上演されている。

なぜか?

この作品の音楽はいわゆるエンターテイメントの

浮き浮きするようなメロディではない。

むしろ、人の心根に響くメロディである。

また、ミュージカルでありながら

踊りのシーンは結婚パーティのシーンだけ。

上演3時間は芝居と歌で占められる。

つまり卓越した歌唱力と技量が無ければ

音楽で観客を感動させることが難しい。

それほど、この作品は音楽の比重が高く

また安直に取り組めないレベルの音楽だったのだ。



4、舞台装置


本当によくできているなと

いつも感心するのが、舞台の中心にあり、

ほぼ常時動いている大回転舞台。

これが長時間劇の進行をスムーズに

また無駄なくスピーディにさせている。

登場人物たちは、大回転盤が照明の届かない

ステージ後方に差し掛かったところで姿を消し、

その間に次の登場人物が回転盤に乗って現れる。

小道具も回転盤に乗せられてセットされる。

また、スラム街やバリケードのシーンなどの

大きな舞台装置は左右から押し出せれ

中央で接合すると完成する。

あっというまに戦場が出来上がるのだ。

当然、大回転盤に乗っているから装置を

演出に合わせて半回転させるなど自由に動きが出せる。

ジャベルールの飛び込むシーンは

橋が上へ上がることで演劇的に表現する。

大きなものから小さなものまで

ドラマに密着して装置が考案されているのだ。


































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ミュージカル『レ・ミゼラブル』の前置き
2005-03-10 Thu 19:08
出逢って10年以上

それでもいまだにすべて

汲み切れない泉のような作品。


何十回観たにもかかわらず

それでも観たり無い。

上演される限り

わたしは帝劇に足を運ぶことは

間違いない。



この作品の魅力は何だろう?

実はわたし自身にも

よくわかっていないような気がする。

何十回観たにもかかわらず

毎回新鮮な興奮と感動の中心に置かれてしまって

全体を見渡すことができないからかもしれない。


今は神奈川県に住んでいるが

地元ではない。

上京してきたのだ。

いろいろ理由はあるが

最大の理由は『レ・ミゼに出たいから』

そんなわたしにとっては

夢は叶わず普通の暮らしをしていても

観るたびにその最初の気持ち

夢を見つけたときの気持ちに戻ってしまうから

かもしれない。



そんなわたしが

形はどうあれこの作品について

書こうと思っている。

どうなるかわからないが・・・。


ベースは舞台版に置くが

原作や映画他にも言及することになると思う。

奇特にも読んでくださる方は

横道にそれまくるのをお許しいただきたい。


それではこの偉大なる群集劇の世界へ。




大海より壮大なものは

大宙(おおぞら)である

大宙(おおぞら)より壮大なもの

それは実に

人の魂の内実である

―ヴィクトル・ユゴー


















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ラッキーマン
2005-03-09 Wed 20:56
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どういったらいいのだろう?

この率直さを


まったくやっかいな本に出逢ってしまった。


ノンフィクションは読まないのに。

闘病記なんて特に・・・。


読めば読むほど

自分自身と向かい合わなくては

いけなくなる。

そうしなければ先に進めないのだ。


人と人ではなくても

すべては何か意味のある

『出逢い』だと

わたしは信じている。

本、映画、舞台すべて。


そういう意味では

『ラッキーマン』も

わたしにとって意味のある

『出逢い』のはずである。


一体何をもたらしてくれるのか?!

楽しみ半分

とても恐ろしいのだけれど・・・。

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『ファントム』狂
2005-03-02 Wed 18:34
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数えきれないほど読み

それではまだ足りない・・・。


すっかり中毒ですな(`-ω-´)むぅ。。。



キリスト教徒にとっての

聖書のように

『ファントム』は

わたしにとって

聖典になってしまいました。



特に下巻の

『エリック』と

『エリックトクリスティーヌのフーガ』の章。


運命のオペラ座のへ部分と

「オペラ座の怪人」の部分。


何度も読み

何度もため息をつき

何度も涙し

読むたびさらにエリックの魅力に

嵌まっていく自分を見つけています。



わたしにとって『ファントム』は

今までに無い感覚を与えてもくれています。

エリックは


私の声ののどこに、

人をトランス状態に近い従順さ

にしてしまう力があるのか・・・

さっぱりわからない


と言っていますが、

読んでいる間のわたしは

ちょっとしたトランス状態。

おかげで昼休みに読むときは

必ず携帯タイマーセット。

バイグ機能ONでポケットへ。

そうしておかないと

遅刻します(一度やって懲りたので)。

それでもしばらくは

ポワーン(○'ω'○)???

とした状態が続きます。


前回、

『ファントム』は

エリック自ら天から

スーザン・ケイに啓示を

与えて書かせたと思うと

書きましたが

読めば読むほど

その思いは強くなっています。


この本はエリックの声を

意識の奥に聴かせてくれるのです。

音として認識できないけれど

確かに‘聴こえてくる’のです。


そうでなければ

わたしの状態は説明できないし

わたしの気持ちも説明できない。


今わたしはクリスティーヌの気持ちが

とても理解できます。

実感といってもいいほど・・・。



エリックの

音楽の天使の‘実際の声’を

聴きたいなら

『ファントム』を手にとってください。

読んでください。



その声は私をこの世の殻を破って

遠く宇宙の果てまで誘い、

その不思議に満ちた飛行で

私は心身ともに疲れ果てる。

天使が去ってしまうと、

ただもう眠りたかった。

眠ればまた夢の中で声を聴けるからだ。

―クリスティーヌ


























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